保育士の仕事って誰でもできる?
こんにちは、ササキです。
堀江貴文さんが保育士の賃金が低い理由として、「誰でもできるからです。」とツイートしていたので、「保育士なめてんのか」と思ったのですが
後々のツイートを見ると
「誰でも(やろうとしたら大抵の人は)出来る(大変かもしれない)仕事だから希少性が低く(コンビニバイトなどと同様に)給料が上がらない構造になっている、がより丁寧な言い方だね」
とのことだったので、納得しました。
簡潔にまとめればまとめるほどインターネット上の言葉は誤解を生みますね。
「クソリプ」という名の批判をしている人たちは「誰でもできるからです」という言葉から、堀江さんが「保育士なんて誰でもできる職だから賃金が低いんだよ」と考えていると捉えたのでしょう。
しかし、本来堀江さんが言いたかったことは「誰でもできる職業だから賃金が上がらない構造になっている」ということで、この客観的な物言いだとあんなに「クソリプ」も来なかったのでは?と思いました。
このツイートに対してカリスマ保育士てぃ先生も
「私は保育士をしていますがその通りだと思います。資格を持たずとも子育てはできる。一方で、国家資格をとり子どもにあたる保育士がいる。この両者の違いであるはずの『専門性』がオープンでないし、当然世間も認知していない。『子どもと遊ぶだけ』の印象を変える努力が必要。」
と保育士の専門性がオープンでないこと・認知されていないことに対してかなり問題意識があるようです。私もこれには同意です。
保育士という職業は数的な成果・評価を下すことが難しい職業です。(保護者の園に対するレビューなどはできると思いますが)
塾だったら「今年は○名難関私立小学校に合格しました」と数的な結果を公表できるため「塾/塾講師の専門性」が認知されやすいと思うのですが、保育園・幼稚園はそうはいきません。
「子どもの健やかな成長に貢献」
「周囲の友達・大人と対人関係を築く」
など、定性的目標が園の方針となっており、定量的目標はほぼないのではないでしょうか。
(保育士は本来女性の職業だったからという歴史的背景もあるとは思いますが、)だからこそ、保育士の専門性が社会では認知されにくいのです。
そもそも「保育士の専門性とは何か」。
てぃ先生も述べていたのですが、それは「子どもを観察し、それに適したアプローチをすること」だと思います。
例えば、子どもが廊下を走っていたとします。
大半の人は「走らないで!危ないでしょ!」と注意すると思いますが、保育士としてまずやらなければならないことは「どうしてその子どもが走っているのか観察し考察すること」です。
私は現在学童保育の指導員をしているのですが、現場で実際に走っている子どもを注意することが度々あります。
以前「どうして走っているの?」と子どもに理由を聞くと「先生にこのおもちゃを見て欲しかったから」と答えてくれた子どもがいました。
折角私にお気に入りのおもちゃを見せに来てくれたのに「ダメでしょ!」とただ叱るだけでは、この言葉を聞けなかったどころか、子どもを傷つけることになっていたかもしれません。
私が「先生はここにいるから、走らなくてもいいんだよ。歩いて見せに来てね」というと首を縦に振ってくれました。
ただ闇雲に叱るのではなく、子どもの気持ちを汲み取りながら接していくことこそ保育士の専門性だと思います。
自分が実際にやっていて思うのが、これがなかなか難しいということ。
大勢いる子どもを見守らなければならない中で、頻繁に起こる子ども同士の喧嘩に随時対応しなければなりません。
こういった側面は園の中で起こっているため、周囲の大人には認知されにくい部分だと思います。
この部分をもっとたくさんの人に知ってもらうために、保育士自身がもっと情報を発信していくべきだし、この専門性を維持向上するために行動していかなければならないのでしょうね。