相方がいなくなった日
「もう、つきませんね」
そう3日前に告げられた言葉は私に重くのしかかった。
新年早々、一体何なんだ。
そう言えば、正月に大吉を二回引き当てて大喜びしていた自分がいた。
でも、あんなのただのまやかしに過ぎなかったのだ。
所詮この世に神様なんて存在しないのだから。
「長く持って、あと3日でしょう。」
淡々と言葉を紡ぐその人は、「明日の晩御飯はシチューだよ」とでも告げるように本当に淡々と言葉を発した。
彼にとって「これ」は日常茶飯事の出来事なのだろう。
でも私にとって「これ」は非日常の出来事だ。
すぐに受け入れることなんて出来ないし、受け入れることができる程、私たちの仲は浅いものではない。
私は彼に向かって「…そうですか」としか答えられなかった。
泣きもせず、ただ私も淡々とその事実を受け入れようと努力する他なかった。
もし神様がこの世に存在するのなら、一発ぶん殴って問い質してやりたい。
「どうして私の相方を奪うんですか?」と。
あれから数日が経ったが、家に帰っても私は何もする気がおきなかった。
何をしたところで過去なんて一向に変わらない。
私はひたすら床の木目をなぞることに徹した。
だが、床の木目をなぞり終えても、私の気持ちが晴れることはない。
クリスマスに買ったワインでもあければ、少しはアルコールで洗い流せるだろうか。
ワインボトルを手に取った私は、おもむろにそれに口をつけた。
…
……
………
ワインを一本あけた頃には、相方との思い出が走馬灯のように駆け巡っていた。
私の目から溢れるのは涙なのだろうか、それとも脂っこい食事に合うこの白ワインなのだろうか。その真偽を知る者は誰もいなかった。
私と相方の思い出それは些細なことから大きなことまで様々だ。
一緒に散歩をした日々もあった。
「どうせ自分なんて何処にでもいる存在だ」と溢す相方に対して「これ以上自分を卑下することは私が許さない」と胸ぐらを掴んで怒ったこともある。
そして、その衝突した夜、相方がいなくなってしまった。
何処を探しても見当たらない、私の目をかわす相方。
私は必死で高円寺の街を駆け回り、相方の姿を探した。
「これは私の相方じゃない」
「こいつも私の相方なんかじゃない」
悲しいことに相方に似た姿は、何処のコンビニでも見かける。
「どうせ自分なんて何処にでもいる存在だ」という相方の言葉が脳裏を掠めたが、私は証明しなければならない。「相方は相方だけである」というその事実を。
日が沈み、あたりはすっかり暗くなってきている。
「もう相方を見つけられないかもしれない」と思う時もあった。
けれど、私は走る足を止めずに相方を探し続けた。
私は証明する必要がある。相方が私にとって必要な存在だということを。
そして私は相方をやっと見つけることができた。
相方は高架下の道路に横たわっていた。
「見つけた」と呟く私に対して「バカだなあ、自分なんて何処にでもいるっていうのに」としおらしく笑ってみせる相方は、何処か吹っ切れたような顔をしていたことを今でも鮮明に覚えている。
喧嘩をしたこともしばしばあったが、それ以上に楽しい思い出もたくさんあるのだ。
1つ目は相方と一緒に旅をしたこと。
スーツケースに揺られ、快適そうな相方の姿に「は〜歩いてくんないかな〜」と嫌味を言うと「人間は大変だなあ」と返された。全くもってその通りである。
2つ目は、朝起きれば、いつも隣に相方がいたこと。
これは楽しみとは少し違うかもしれないが、一番落ち着く瞬間を相方はいつも提供してくれた。一人暮らしの私に温もりを教えてくれたのは、紛れもなく相方だった。
そして最後に、相方とたくさん写真を撮ったこと。
相方は自己顕示欲が強かった。写真を撮ろうとすれば女子大生の如く、写り込んでくるのである。それを見て、私はゲラゲラ笑っていたのだった。
しかし、そんな楽しい時間を過ごした相方はもうここにはいない。
相方は今頃、何処で何をしているのだろう。
千の風になって吹きわたっていると歌ったあのテノール歌手に問いたい。
相方も千の風になってこの大空を吹きわたっているのかを。
さようなら、相方「ジェットストリーム」。
安らかにゴミ処理場で眠っておくれ。