歩きスマホしてたらブスって言われた話。
先日、歩きスマホをしながら高円寺を歩いていたおかっぱの低身長小太りの女を見かけ、「ブス」と一言残し、自転車に乗って去っていかれた方はこの画面の前にいらっしゃるだろうか。
11月上旬、己の怠慢により起きたある事件の解決策を探るべく、私はスマホを見ながら自宅から高円寺駅までの道のりを歩いていた。
きっと今にも死に絶えそうな表情だったに違いない。
それは前方不注意どころか四方八方にスキが出来ている状態であり、防護服を着用しないまま蜂の巣の駆除を行うようなものであろう。即死は免れない。
そんな無防備な状態の私を見かねたのか、推定20代後半、赤いニット帽着用の男性は通りすがりにこう呟いたのだ。
「ブス」
と。
私はその「ブス」という言葉が果たして自分に向けられたものかどうかという明確な確信を抱くことはできなかったが、
通りすがりに男子中学生から「や〜い、森三中〜!」と言われた経験及び、
マクドナルドで席を探していた際に「見返りブス」と言われた経験から、
その「ブス」という言葉は十中八九、自分に向けられた言葉なのではないだろうかという判断に至った。
初めは「なんて失礼な奴…!絶対アイツのことなんか好きにならないんだからッ!」と今後再会するかも分からない相手に対し、少女漫画さながらなことを考え、彼が背を向けた瞬間静かに中指を立てた。
歩きスマホをする人間に対して、普通の人間であれば「前を見ろ!」くらいの物言いになるのではないだろうか。
しかし、彼は「ブス」と発言した。
それは「前を見ろ」という言葉をはるかに超越している。
凡人である私は「歩きスマホ」と「ブス」の整合性を即座に処理することができなかったが、彼は、すれ違った数秒の間に、その整合性を計算し、解を導き出したに違いない。
「多くの言葉で少しを語るのではなく、少しの言葉で多くを語りなさい」
そう、ピタゴラスは言った。
私に「ブス」という言葉を投げかけた彼はきっと、現代のピタゴラスだ。
「歩きスマホは危険だから、前を向いて歩け」という長ったらしい説教を、「ブス」という二文字に落とし込んだに違いない。
私は自分の立てた中指を恥じ、そっと元の位置に戻した。
振り返るとそこにはもう、ピタゴラスの姿はなかった。
後日、私は「もし私が美人であったのなら、あの時彼はどんな言葉を放ったのだろうか」と考えるようになった。
そこで「美人」と名高い友人2名に「道端で罵られたことはあるのか」と聞き込みを行なった。
(正確には「歩きスマホを行った際に、道端でブスと言われたことはあるのか」だが、それではあまりにピンポイントである。多角的な情報を得たかった私はこのような質問形体にした。)
〜友人①の場合〜
〜友人②の場合〜
双方とも即答で「ない」とのことだった。
つまり、美人である場合、「ブス」と罵られることはないそうだ。
当たり前だと言われればそうかもしれないが、この情報から以下のことが分かる。
彼は「歩きスマホをしている主体全てがブス」と考えている可能性は低く、「歩きスマホをしていようがブスはブス、美人は美人」と考えている可能性が高い。
となると、私がもし「美人」であったなら、「歩きスマホ」をしていても「ブス」と罵られることは、いや「ブス(歩きスマホは危険だから、前を向いて歩け)」と指摘を受けることはなかったのだろう。
そう考えると、「ブス」であることによって、私は先日1つの学びを得ることになった。「ブス」への圧倒的感謝としか言いようがない。
大事なことを少ない言葉で教えてくれた彼には感謝の気持ちでいっぱいいである。
そんな彼に私からも一言言わせていただきたい。
お前も大概ブスだったよ。