中高生時代の校則ってどうしてあんなに珍妙なの?
こんにちは、冷房がガンガン効いた部屋が好きなのに冷房に弱いというハリネズミのジレンマを抱えたササキである。
そういえば、私が通っていた中高一貫校には以下のような校則があった。
①前髪は眉毛にかかったら切る、またはピンで留めること。
目が悪くなるから、ということだろうか。
それにしても学生全員にオン眉を強制するのは如何なものかとは思う。
前髪は人間の第一印象を決める上でも重要な部分だ。
前髪によってそれぞれの違った個性を発揮できるというのに、それを奪うというのは表現の自由の剥奪に他ならない。
②髪が肩についたら結ぶこと。
ただし、中学生は二つ結びしかダメ。
高校生は一つ結びでも二つ結びでも可。
髪を結べ、というところまでは百歩譲って理解できる。
私が読んでいた少女漫画のキャラクターは高確率で校則に縛られず髪を結んでいなかったが、それは「彼女たちは東京在住だから」という未知の土地への憧れからできた謎の理由で片付けられていた。
しかし、「中学生は二つ結びしか許可されない」という無駄な制約は何だ。
どうやら学校側は「二つ結び」と「一つ結び」との認識の間に、大きな溝を抱えているに違いなかったが、惜しくもその溝を私たちの代で埋めることはできなかった。
③スカートは、膝をついたときに地面に十分に着く長さでないとダメ。
スカートの長さが校則で取り上げられる部分であることは重々承知している。
長過ぎれば「スケバン」として摘発され、短ければ「フシダラ」として摘発されるため、私たち学生は「スケバン」〜「フシダラ」という中間地点にいなければならなかった。
結局、私たちは「スケバン」でもなく「フシダラ」でもない、何者でもないただの女子中高生にしかなり得ることはなかったのだ。
すなわち、このスカート丈に関する規則は、アイデンティティの確立を妨げる校則に他ならなかったことが伺える。
④携帯電話の所持自体禁止。
校則とは学校内における校則である。
しかし、この校則はどうだろう。
「携帯電話を日常生活においても所持することは禁止」という私生活にまで及ぶ校則を、果たして校則と言えるのだろうか。
技術の進歩が著しい今日に、最先端の電子機器を取り上げることは、私たち学生のメディアリテラシーを奪うことにつながると言っても過言ではない。
非常に学生をダウングレードさせる厄介な校則であった。
この他にも、いくつか珍妙な校則があった気がするが、なんせ4年も前のことなので若干記憶が薄れつつあるようだ。
今の女子中高生にも「何だ?このクソみたいな校則」という意識が芽生えているに違いないが、どうかそのクソみたいな珍妙な規則に縛られず、学生生活を楽しんでほしい。
以下、友人から「こんなクソ校則もあるよ!」という告発を受けた内容である。
⑤眉毛を剃った暁には、眉毛誓約書を書かされる。
学校側は真剣に「眉毛誓約書」を作っているようだから笑ってはいけない。
しかし、こちらとしては「眉毛を剃ったくらいで、眉毛に誓約するものなんて何もない」というのが本音だ。
だって、顔面上にいらないと判断された眉毛を剃ったのだから。
⑥バックにつけるキーホルダーは一つ。10cm以内。
こちらは、いつもバックに10cm以上の何かしらを付けていた印象のある友人からの告発だ。
キーホルダーの著作権が学校側にあるわけではないが、私たちはバックに付けるキーホルダーの権限まで学校側に掌握されていたのである。
どうして10cmに固執するのか、それは学校側にしか分からない己のルールがあるようだ。
⑦二つ結びが伸びたら、三つ編みにしなければならない。
学生側としても、どの長さから三つ編みレベルのものなのか、判断しかねる場合が多く、度重なる風紀違反に見舞われることが多発していた。
教員の主観的な判断により「三つ編みレベル」が定められているため、学生にとっては最も不利な校則と言っても過言ではないだろう。
⑧映画は保護者同伴
生徒手帳に記されていたようだが、私はこの校則を認識できていなかった。
認識されない校則はもはや校則ではない。
それどころか、映画を観に行く相手を校則ごときに決められるなんて、「校則は一体どこに胡座をかいて学生を見下しているんだ?」とすら感じられる。
かつてエドワード・エルリックもこう述べていた。
「立って歩け。前へ進め。
あんたには立派な足がついてるじゃないか。」
そう、映画くらい一人で行け。
⑨地毛が明るい場合は、風紀検査の際、親の証言が必須
地毛ですら疑いにかかってくる学校である。
かつてどんな仕打ちを受けたのか知らないが、とても人間不信のようだ。
幼児期に愛情が足りていなかったのかもしれない。
ここは、学生側が大人の対応をし、
「ウンウン、これはねえ、信じられないかもしれないけど地毛なの。
ほら、私のママもこう言ってるでしょう?ね?」
と言ってあげてほしい。
どんどん珍妙な校則が私の脳内に蘇ってくる。
今では笑い話だが、この校則に疑いもなく従っているのは果たしてどうなのだろうと複雑な気持ちだ。
引き続き「珍妙校則告発」をお待ちしている。