北朝鮮のミサイル発射に気付かず10時に起床した私は気付かぬうちに灰になる。
北朝鮮からミサイルが発射されたようですが、
のんきに寝ていた私は気付かぬうちに灰になって人生を終えそうです。
Jアラート鳴ってたのか?と疑問に思ったのですが、
どうやら対象地域(今回は北関東)にしかJアラートは使用されないよう。
Jアラートの情報伝達は基本的に以下の流れになっているそうです。
弾道ミサイルは発射から短時間で着弾するため、
迅速な避難が必要。
【屋外にいる場合】
○ 近くのできるだけ頑丈な建物や地下に避難する。
○ 近くに適当な建物がない場合は、物陰に身を隠すか地面に伏せ頭部を守る。
【屋内にいる場合】
○ できるだけ窓から離れ、できれば窓のない部屋へ移動する。
窓の近く防御力0の状態で寝ていた私は、
気付かぬうちに睡眠が永眠に変わっている可能性が高いようです。
当たり前は当たり前でなくなる
ぬくぬくと寝ていたくせに何だお前って感じですが、
当たり前だったことが瞬時に当たり前ではなくなるんだなと思いました。
別に北朝鮮のミサイル発射というネガティブなニュースにおいてだけではなく
AIとか様々な技術の発達というポジティブなニュースにおいてもです。
私は将来に対して莫大な不安を抱えながらも「まあ何とかなるだろう」と楽観的に考えている面があります。
未来という良くなるかも悪くなるかも分からない漠然としたものに対してどうしてそこまで楽観的に考えることができるのだろうか、とふと思いました。
アウトオブ手中だから?
将来は自分で決めた道の延長線上にあり、
道は自分が決めることができるけれども、将来は決めることはできないと考えているのかもしれないです。
将来=自分の努力でどうにかなる範囲✖️外的事象(不可抗力なもの)
自分がいくら努力しても不可抗力なものはきっと存在し、
もしその不可抗力なものが0だったとき、将来は0になります。
例えば、私の将来の夢は海外で保育士になること+永住権取得。
英語力の向上や保育の知識は自分の努力でどうにかなる範囲。
しかし、移民受け入れ制限などの政策は外的事象(不可抗力なもの)。
もしこの外的事象が0になった場合、私の将来はパーです。
(そのときはまた新しく自分が努力できる範囲を探して、また新しい将来を築いていけばいいと思いますけどね。)
そう考えるとやはり自分の中にどこか運命論的なものがあって、
外的事象は自分で変えることができないのだから受け入れるしかないという諦念があるのだと思いました。
だからこそ、その諦念の反動で将来に対する楽観さが生まれています。
自分にはどうしようもできないけど、成るように成る。
ともかく、まずは自分にできる範囲で早寝早起きを心がけたいですね。(趣旨)