「あの頃は良かった」とぼやかないと生きていけない大人たち
どうも、ササキです。
近頃、高校時代に聴いていた音楽をダウンロードし、再度聴くようになりました。
フジファブリックの志村さんの命日である12月24日、カップルに紛れながら、プラネタリウムに足を運び「志村よぉ〜」と彼の死を惜しんだことを覚えています。
Base Ball Bear 17才
フジファブリック 銀河
Avril Lavigne Rock N Roll
こういった音楽を聴いてると、高校時代が蘇る。
「あ~高校時代は良かったなあ」とふと思ったのです。
しかし、本当に良かったのか?なんか捏造しているだけじゃないのか?
授業は怠かったし、先生はあんまり好きじゃなかったし、受験勉強は大変だったし、人間関係もごちゃごちゃしてました。
特に受験期のクラスのムードといったらクソ最悪。
指定校推薦の争いで友達の嫌なところを見て「あ、こいつとはもう付き合えないな」という人も何人か自分の中でできました。
良いところばかりではなかったはずなのに、どうして「良かったなあ」と言えるのだろう。
不思議です。
仮に嫌なことが7割を占めていたとしても、私は「あ~高校時代は良かったなあ」と言うのでしょう。
人は自分の過去をある程度捏造した上で肯定する説が浮上しました。
「あの頃は良かった」という大人たち
「あの頃は良かった。なのに、今は…」という言葉を口にする大人は周囲に必ず1人は存在するのではないでしょうか。
もう少し具体的に言うと「昔は体罰は当たり前だったのにな。今は甘すぎる。」とか「昔はスマホなんてなかったからね。人との繋がりがもっと濃かったんだよ。」とかです。
過去を引き合いに出し、あたかもそれが正しかったかのように発言する大人たち。
しかし、「では、これから仕事でミスしたら体罰です。」「スマホは人との繋がりを薄くするので金輪際使用禁止です。」と言えば「それは違うだろ!」と反論することは目に見えています。
意味が分からない。
つまり、彼ら自身は「体罰」や「スマホ」そのものが許せない訳ではなく、「自分たちの下の世代が自分たちと同じ苦しみを経験していないこと」が許せないのです。
それってすご〜く思いやりがない。
私は自分が経験した苦しみを下の世代に引き継ぎたいとは思いません。
自分が経験したからこそ、その苦しみに対して事前に防止策を打ち出すことができるし、その苦しみを取り除くためにサポートができるのです。
そういったことをしようとしない上の世代は何のために人より長く生きているんですか?
だから若者はあなたたちのことを「老害」と呼ぶのです。
搭載されているOSの違い
株式会社Letibeeの代表取締役である榎本さんが大学の講義でお話してくださった内容がとても興味深かったのでシェア。
上の世代の脳には過去のOSが搭載されています。
私たち若者の脳には彼らが持つものより圧倒的に精度の高い最新のOSが搭載されています。
古いOSを持った人間が新しいOSを持った人間を教育する。
すると、新しいOSがどんどんダウングレードされていくのです。
…これって恐ろしいことではありませんか。
せっかく新しいOSを持っているのだから、どんどんアップグレードしていきましょうよ。
「あの頃は良かった」は「あの頃を良く思いたい」という意味
「あの頃は良かった」という言葉の裏にはきっと「あの頃をよく思いたい」という願望が含まれているのだと思います。
いくら嫌なことがあっても「あ~高校時代は良かったなあ」と私が思ったように、過去は脳内の加工アプリ(B612)によって大分綺麗に補正されます。
それが大人の脳でも起こっており、どんなに嫌なことがあっても「そんなこともあったな〜」と何でもなかったことのように処理されてしまいます。
「体罰」だって彼らにとっても嫌なことだっただろうし、「スマホ」が今のように存在しないのも不便だったに違いありません。
しかし、彼らはその時に自分が感じた「嫌悪感」や「不便さ」を過去の捏造によって消去することで、あたかも自分たちが暮らしていた時代が良かったと捉えている。
これは一種のバグであり、このバグを完璧に修正できるのは彼らの持つOSが役目を終えた時でしょう。
人間の脳って面白い。
私のキノコスタンプ。