「なんか違う」の「なんか」の正体。

現在大学3年生、ササキです。一年休学し留学したので絶賛大学難民中。ぼっち飯は通常運転なので、衛生的に良しとはされないでしょうが今度は便所飯でも試してみたい所存であります。あまり臭いのしないものがいいですね。ゼリーとかにしときますか。

 

ササキの夢

そんな私の夢は「海外で保育士になること」。留学する前の大学2年生の夏から持ち続けている夢です。小学生あたりからぼんやりと「保育士になりたいな〜」と考えていましたが、日本で聞く「保育業界」ってネガティヴな話ばかり。子どもの基礎を作る重要な職業にも関わらず、地位も給料も低いなんて…。

 

そこでカナダに1年(半年英語・半年幼児教育)滞在し、海外の保育事情(労働環境面・給料面 etc)を知りました。まず北米は日本よりもはるかに子どもに優しい。そういった背景もあり「保育士やるんだったら海外だな」という思考に至りました。(この話はまた別記できればと思います)

 

しかしこういう話を友人にすると「本当にそれでやっていけんの?」「就活しないって甘えじゃない?」という言葉をかけられるんですね。かつてはメンタル雑巾と呼ばれていた私ですが、さすがにまだ人間の兆しがあるようで「…やっぱり就活しなきゃなのかなあ」と不安に思ってきました。

 

 

同期だった友人たちはすでに内定をもらい、ひと段落したみたいですが、周囲の大学3年生はサマーインターンラッシュ。今ここで良い企業のインターンに参加できれば箔はつくし、もしかしたら内々定まで繋げられるかもしれない。本来就活は2018年の3月解禁ですが、今の時期から準備しないと間に合わないそうです。

 

1dayのインターンに参加してみる

焦りと不安を抱えた私は、とにかく何かしなきゃ!という思いから合同説明会に参加したり、サマーインターンのESを書いたりなんだり、「なんか違うんだけどな〜」という想いを抱えつつ、この3ヶ月間過ごしました。また某企業の1dayインターンにも参加してみました。しかしそこで違和感を覚えた一言がこちら。

 

「こういったインターンの後って時間ありますよね?積極的に人事と話して、印象付けるのが大事なんですよ。私たち人事も人間ですから、やっぱり面識のある人って他とは違いますよね?」

 

確かにそうかもしれませんが、それって強制されるものではない。本当に学生側が「この人たちともっと話したい!」と思えば自然と声をかけるはずです。「話さなきゃ採用から遠ざかりますよ?」って言われたら、そりゃ学生も帰るに帰れないでしょう。現に私を含め「帰りたいけど雰囲気に足止めされている」学生が何人もいました。

 

「学生だから時間がある」と思っているようですが、「時間」ほど平等に流れるものはありません。人事の方たちにも同じ「時間」が流れていて、私たちよりももっと「時間」を共有しなければならない大事な存在がいるのではないでしょうか。そんな違和感を覚えた1dayインターンでした。

 

グループディスカッション講座に参加してみる

そんなインターンを終え、次はグループディスカッションに特化した講座に参加してみました。論理的に物事を考えることが大の苦手のササキ。今まで直感と直感と感情で突き進んできたツケがここで回ってきたように感じます。とにかく的を得ない発言が多く、クラッシャーとして大活躍したのではないかと!(迷惑)

 

そして家のお風呂で悶々と「私って何でこんなに馬鹿で、感情的に物事を考えてしまうんだろうか…」と手の皮がブニャブニャになるまで考え込みます。「感情的 ダメ」「感情的 治し方」とググってはググるの繰り返し。「もうこれは一種の病気なのでは?」と「感情的 病気」までググりだします。病める病めるゥ〜!

 

そして留学帰りの海外被れササキは何を思ったか「Emotional is bad」で調べ始めます。すると結構ポジティブな記事が多く出てきたんですね。「私たちは感情的だけど、こんなことができるのよ!」みたいなもの。

 

またHelloTalkという英語学習アプリで「I'm rather emotional than logical. People said that's bad in work. But feeling is the most important part to be who I am and make others happy.(私はどちらかというと論理的っていうか感情的なんだ。人はそれを仕事ではよしとしない。でも感情って私が私らしくあったり、人を幸せにしたりするのに最も重要な部分だと思うんだ)」と投稿すると、「その考え方、アメリカでは普通だよ。あなたはあなたらしくいるべき。」と声をかけてくれる人が多々でした。

 

自分の欠点を無視するわけではないけれど、そもそも「全員が全員、論理的であらねばならない」っていうのもちょっと違うのではないだろうか、と。みんなそれぞれ良いところと悪いところがあって成り立っているのだから、無理に「こうあらねばならない」という型に当てはまらなくても良いのかもしれない。

 

みんな一緒で、それが良いって本当?

筋道も論理性もなく、こいつは何を長々と話しているんだと思ったことでしょう。論理性の欠如、得意分野です。最終的に何が言いたいかというと、先ほど書いた

 

無理に「こうあらねばならない」という型に当てはまらなくても良いのかもしれない

 

ということです。就活にしろ何にしろ「こうあらねばならない」というものが私たちにはあります。「良い大学を卒業して良い企業に就職!」という考えが蔓延る中で「大学を出ても就職せずに海外に出ようとする」私は周囲からすると異質なものなのかもしれません。敷かれたレールを歩まない異端者。

 

友人の「それでやっていけるの?」という言葉を取り上げて考えてみます。その友人は「自分は無事に内定をもらって卒業後就職するから今後の生活は安定」と考えているからこそ、そのような発言ができるのだと思います。しかし今の時代、企業がいつまで安定しているか誰にも分かりません。

 

私はカナダ留学中に「未来はどうなるか分からないけど、自分はこうしたいんだ!」という夢を持ったキラキラした人たちにたくさん出会うことができました。だからこそ、就職活動だけが答えではないという答えを自分の中に持っているのだと思います。インターンや講座で感じた「なんか違うな」と感じる「なにか」はきっとそこにある。

 

「こうあらねばならない」という型が自分自身の世界を狭めないように、頑張っていきたいと思います。